● 『仏蘭西少女開発回想録』 第5回

みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

今週からゴールデンウィークですか。
現場でディレクター(というかこの業界の仕事)やってると、
そういう暦的なものってそれほど影響はされないので、
毎年あまり実感は湧きません。
(注1)

この仕事はどちらかというとマスターアップが区切れ目なので、
水面下で色々と進めていることを形にするまでは、
カレンダーは単に(主に他人との)スケジュール調整用の記号のままです。

そんなわけで、いってみましょうか。
今回は第5回ですね。

<『仏蘭西少女開発回想録』 第5回>

南泌流夫とともにストーンヘッズを去ることになった僕ですが、
次の代のディレクターT氏とは、個人的に交流があったので、
断続的に情報を得ることが出来ました。

南泌流夫が去った後のストーンヘッズ
新体制下で働くドカタガール。
夜学に通うための学費を稼いでいる
苦学生。
「どうせ汗で汚れるから」
と、作業着のオーバーオールの下の
シャツは着ず、常に素肌という倹約ぶり。
注意力散漫でよくこけるが、
ひたむきに働く姿が眩しい。
右投げ、右打ち、
スキル:ヘッドスライディング、回復△1
※このカットと本文は、それほど関係ありません。

その限りで伝え聞いたことは、
『女郎蜘蛛〜真伝〜』の開発をきっかけに、
2代目の原画家として、さくらめーるさんが
『仏蘭西少女』の原画家の候補に上がったこと。
(注2)

そして諸事情があって本格的に作業に入る前に断念せざるを得なくなったこと。
そうこうしているうちに、『SEXFRIEND』の開発が進んでいったこと。
締め切りは近づいて来てはいるものの、シナリオが膨らみすぎて間に合いそうにないこと。
(注3)

開発会社の常として、今まさに動いていて、
明確な締め切り(=発売日)のある企画に力を注がざるを得ないので、
『SEXFRIEND』開発中は、『仏蘭西少女』はほとんど進んでいないようでした。
(注4)

僕もディレクターのT氏の頼みもあって、
他の会社(この時は既に南泌流夫の下から離れていました)にいながら、
営業時間外に『SEXFRIEND』のシナリオの手伝いをしていました。

大体朝5時くらいに起きて、
始業前までにSLGパート(「出る出るメーター」のあるパートですね)の
「69」とか「キス」とか「後背位」とか「パイズリ」のテキストを毎日書いてました。
朝っぱらからの割りに結構ノリ良く書けてたと思います。

『SEXFRIEND』の仕事の絡みで、当時の丸谷先生とも何度か話す機会はあったのですが、
『仏蘭西少女』の話題は少なからず出ていました。
話しぶりからすると、まだ内部では諦めていない(お蔵入り扱いではない)ようで、
「まだ諦めてなかったんだ。すごいなあ」
と他人事のように感心していた覚えがあります。

この時の感覚では、T氏も有能なディレクターだったし、
会社も諦めてないようなので近い将来リリースされるものと僕は思っていました。

そして『SEXFRIEND』がリリースされてしばらく後、
ディレクターT氏から
「どうやら『仏蘭西少女』の原画家はTonyさんになりそうだ」
と居酒屋でこっそり聞かされて、『仏蘭西少女』は新たな段階に突入して行くことになります。
(注5)

当時の感覚では、
「Tonyさん捕まえたんだ! やるじゃん!」
と正直に思いました。
それを僕に伝えたT氏も、口ぶりはやや得意げだったと思います。

この時の状況では、そういう反応も詮無きことでしょう。
『SEXFRIEND』もヒットを飛ばしていたし、
『仏蘭西少女』とストーンヘッズの未来は明るい。
そんな幸福感と期待感に包まれた一時で、
僕は外野の身分として、ちょっとした羨望を覚えたものでした。

しかし、そんな幸せな時代も長くは続かなかったのです……
(注6)

<続く>

『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com

(注1) 業界関係者によれば、これがフリーともなると
『毎日が日曜日』か『月月火水木金金』かのどちらかになるそうである。
(注2) 内部の匿名氏の談話によれば、キャラデザ段階までは進んでいたようである。
(注3) 消息筋によると、プロット段階ではなかったストーリーラインが、
幾本か発生したそうである。
(注4) ごく一部の規模が比較的大きなソフトハウスであれば、
並行開発というのもあるらしい。
(注5) 情報提供者によれば、新しい原画家を捜さねばならなくなった時点で
原画家誰がいいと聞かれた丸谷及び猫田氏が、
『絶対に使えないだろうけど使えれば安心』と言って挙げた
3人の原画家の一人がTony氏だったそうである。
(注6) この業界ではよくある事である。

脚注by 仏蘭西少女記録委員会(STONEHEADS未公認団体)

2010/04/30

● 丸谷秀人のつぶやき千里・第27回

 簡単な仕事の筈だった。
 三ツ矢氏が『仏蘭西少女』の回想録を執筆しているので、それに
便乗して遣れば安易に事が運ぶと胸算用をしていたのだ。見通しは
明るかったのだ。
 だが、いつもの様に作務衣に着替え仕事机に向かったにも関わら
ず、容易く文章を紡げる筈がどうした仕儀か全く筆が進まない。正
確に言えば、筆が進まないのはいつもの事では有る。有るのだが、
思惑違いも甚だしい。情けない事に、思惑が違って来るのもいつも
の事である。
 不意に猫の涼月を構いたい心持ちになり、奴が昼日中いつも惰眠
を貪っている縁側を覗いて見たが影すら見えぬ。居て欲しい時に居
らず、構いたい時には逃げ、構いたく無い時に寄ってくるのが、あ
の種族の特徴では有るが、何も常に特徴を発揮しなくても良いでは
無いかと思う。
 猫を構うと云う野望を断念した私は家人に一言告げてから再び襲
来した冬の寒気を恐れて外套を引っ張り出し下駄を突っかけて暫し
散歩に出かけた。生け垣のキリシマムラサキツツジは数日前までの
春の気配に綻び描けていたのに、今朝降りた霜に不意を突かれ悄然
としてしまった。数年ぶりに蕾をつけたと云うのに不憫な事だ。だ
が文を綴れぬ物書きに比べれば不憫ではあるまい。いや、空疎な文
を書き散らす能すらない物書きなど不憫と名乗るも烏滸がましい。
所謂滓である。
 役所に幾ら頼んでも如何な舗装されぬ住宅街の道の霜柱を踏みし
めて、私の足は自然と近在のお稲荷様へと向かう。何も思い浮かば
ぬ時に其処へ参るのが習慣となっているのだ。脇道へ逸れて武蔵野
の名残が残る小さな雑木林の小道へと分け入れば、深山幽谷の気配
とは言い過ぎだが、私が立てる下駄の音以外、人の物音は絶え別世
界に迷い込んだ心地がする。随分と安い別世界である。
 お稲荷様は、私以外の人間が来た形跡は無く。朽ちかけた祠に階
に、私が前回に供えた油揚げが干涸らびた姿を晒し、十円玉が功徳
が欲しいと云うならもっと弾めと言わんばかりに恨めしげな顔をし
ている。作務衣の懐に手を入れて探ったが、懐中には一文も無く、
私は己の迂闊さを呪った。賽銭も無しに文章を恵んで貰おうとは、
幾ら何でもさもしすぎる。かと言って、態々引き返し十円を取って
来るのも其れは其れでいじましい。何故十円かと言えば、いつも十
円だからである。
 私は祠の前に暫し佇んでいたが、結局、頭だけ下げて非礼を詫び
てから来た道をそそくさと引き返した。先程より肌寒さを感じるの
は、思いの外、長い時間佇んでいて体が冷えたのと、事態が何も好
転していないという精神的な物の二つが原因であろうか。
 重い足取りで家へ戻ると、家人の姿が見えず悲鳴がする。外套を
脱ぎ捨て悲鳴の方へ向かうと風呂場で家人が呆然と佇んでいる。シ
ャワーは飛沫を上げ足下のタイルを勢い良く水が流れていく。勿体
無いじゃないかと言うと、恨み言めいた口調で、幾ら蛇口を締めて
も水が止まらないのだと言う。
 こういう口調で話す時には其れ以上何を言っても角が立つので、
私は庭へ回って水道の元栓を締めてから、工具を取りに物置へ向か
った。恨み言とも愚痴ともつかぬ物を漏らし続ける家人を一寸見て
みるからと言って風呂場から追い出して、蛇口を分解してみると、
水流を調節する独楽の様な部品が摩耗してしまって物の役に立たな
くなっている。築五十年の家で建てられた時から全く手が加えられ
ていない蛇口の部品など製造元に問い合わせた所で有る訳が無い。
そもそも製造元自体があるかどうかすら判らない。
 私は取り敢えず、ゴムのパッキングを適当な大きさに切り取り蛇
口の根元に詰めてから水道の元栓を開いた。風呂場に戻って暫く観
察してみたが漏れる様子は無い。根本的な問題は何も解決していな
いが一安心であった。電話帳を調べ、修理業者に電話を掛けて、成
るべく早く来てくれと頼むと、明後日には来てくれると言う。だが
明後日来るのは見積もりを出す為で、修理は一週間程待つ事になる
ようだ。一週間、家人の恨みがましそうな眼差しが向けられ続ける
と思うとうんざりする。
 漸く仕事机の前に戻った時、雑木林へと帰る烏どもの声がする。
辺りは夕暮れ。今日も文字を一文字たりとも書かぬ儘、一日が無為
に暮れていく。
 簡単な仕事の筈だったのに、と呟いてみる。
 余りの説得力の無さがなんだか可笑しくて、私は小さく笑った。

2010/04/23

● 『仏蘭西少女開発回想録』 第4回

みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

どのくらいの人がこれ見てるのかしらと、ちょっと不安になりつつ、
主に自分のために書き続けます。
こうやってモノ書かないと忘れちゃいますからね。色々な事を。

……まあ思い出さなくていいことまで思い出してしまうこともありますが、
今回の第4回は、割とそんな話です。

では早速いってみましょう。

<『仏蘭西少女開発回想録』 第4回>

『仏蘭西少女』(このときはまだUne fille blancheは付いていなかった)の
一人目の原画家が降りてから、にわかにストーンヘッズ内部に変化が起きていました。


去り行く南泌流夫を見つめるデッサンガール。
生き別れの両親を探して中目黒を彷徨っていたところを ストーンヘッズスタッフに保護され、 主に原画作画時に様々なポーズを取らされることに。
キリヤマ太一から胸の薄さをさんざん指摘され、 その度に凹みながらもけなげに仕事を続ける苦労人。
右投げ、右打ち、スキル:打たれ強さ△2、柔軟性△1
※このカットは、本文とそれほど関係はありません。
面白いことを沢山しよう!
という当時の開発トップの南泌流夫の号令の下、矢継ぎ早に企画が挙げらて行きつつあったんですね。

当時発売されたタイトルをざっと挙げてみると、

『ハーレムレーサー』 『女の子どうし』
『絶滅キング』 『SEEK2』
『生足クラブ5×5』
『変態チャンネルアブノーマルTV』
『聖コスプレ学園ゲーム分校』
『欲望執行人』 『ねこえすえむ』etc...

こんな感じでした。
タイトル数は多いんですが
(僕も全部覚え切れません)、
当然、1タイトルあたりの開発期間は徐々に短くなっていきます。
結果としては、なかなかヒット作には恵まれない状況でした。
(注1)

ゲーム屋がヒット作に恵まれないとどうなるか……というのは想像に難く無いでしょう。
日に日に社内に何ともいえない悄然とした雰囲気が濃くなっていったのを今でも覚えています。
誰も口には出さないんだけど、みんな似たようなことを思ってるのが分かる感じですね。

そしてその後の短い期間に、ここに書ききれないさまざまな事が起こり、
最終的に、開発室の規模は最大時の1/5程度に縮小されることになります。

そんな状況の中で、次の原画家も見つかっていない『仏蘭西少女』の開発が
目に見えて進むわけもなく、『仏蘭西少女』開発は凍結されてしまいます。

余談ですが、ゲームのお蔵入り、というのは、
本質的に開発陣、関わったスタッフが全員諦めた瞬間に訪れるような気がします。
誰かが何らかの執念を持って、諦めなければ例え他人に凍結扱いされたとしても、
また別の形で世に出てくるでしょう。

『仏蘭西少女』は、まさにそんなゲームでした。

この段階で、あの6MB超のシナリオが完成していたかは記憶に無いですが、
企画に愛着のある丸谷先生、荒縄さんは、
この隙にじりじりと『仏蘭西少女』の作業を進めていた可能性はあります。
(注2)

可能性はあります、とかはっきりしたことが書けないのは、
当時の会社内は人の出入りが激しく、20歳そこそこのペーペーの僕では、
なかなか各人の動きを知る術が無かったんですね。

そして20世紀が終わり21世紀が始まると同時に、
南泌流夫までストーンヘッズを去ることになったのです。

また余談になりますが、僕は某雑誌のネタっぽい企画ページを本気で受け止めて
「1日のお小遣い300円+カロリーメイト」
という条件でストーンヘッズ開発内部に潜り込みました。
(当然、アルバイトですらないです)

普通ではありえない入り方だったので、
丸谷先生は当初僕を相当警戒していたらしく、
「おまえ、○○のスパイだな!」
と面と向かって言われた場面を今でも鮮明に覚えています。

その時の丸谷先生の目が本気だったのか、ネタだったのかは、
今でも分からないままですが――

と、話が脇に逸れてしまいましたね。
この頃には僕のスパイ疑惑も晴れ、ストーンヘッズ社員になっていましたが、
上記のような経緯で、僕の最初の身元引受人が南泌流夫で、
大変目にかけてもらっていたという自覚もあったので、
僕も自分の意志で彼に付いていくことにしました。

そして南泌流夫がストーンヘッズを去った後、
PILやストーンヘッズ自体は存続することになったものの、
『仏蘭西少女』の命運は依然消えかかったまま、日々が通り過ぎていきます。

<続く>

『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com

(注1)
『SEEK2』はセールスはかなりよかったんですが、
開発期間の異常な長さ(主に南泌流夫のシナリオ遅延)による度重なる延期で、
せっかくの受注が数千本単位でキャンセルされたりなど、
社の先行きを暗示するような暗雲たれこめるものでありました。
(注2) 関係者の証言によると、この時期、シナリオは唐森家の葬式までの第一部は
ほぼ完成していたものの、それ以降は5割程度しか完成しておらず、全く未
定のブロックも多数あったようである。その中には、完成した『仏蘭西少女』
では除去されたものも幾つかあったようである。

脚注by 仏蘭西少女記録委員会

2010/04/16

● 『仏蘭西少女開発回想録』 第3回


みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

この回想録宛にメールが来て、嬉しいと同時にちょっとホッとしています。
以下のような質問がありますが、
  • 開発に10年かかった経緯
  • 分岐の凄さについて、丸谷氏とのやりとりやデバッグチームの苦労話など
  • 開発チーム内での、一番人気キャラ・嫌われキャラ、作品への意見など
  • ユーザーアンケートでの、一番人気キャラ・嫌われキャラ、作品への意見など
  • モンキーパークに出演しなかった声優さんについての、アフレコ思い出話
    (例えば政重の母の熱演や、キャリバンの怪演について)
  • Tony氏、大石竜子氏、吉田誠治氏などの、開発中のエピソード

これらはこの回想録の連載である程度明らかになると思います。
例えば上で挙げられている大石さんや吉田さんとはちょうど昨日会ったばかりでしたが、
今でも『仏蘭西少女』を愛してくれているようなので、
タイミングが合えばいずれ直接のコメントや外注サイドの開発回想録も載せられるといいなあ、と思っています。

ただ、基本的に10年という年月に起こった出来事を、
僕の記憶が及ぶ限り順番に書いていこうと思ってますので、
もう少し連載が続いてからになってしまいますが、
気長にお付き合いして頂ければと思います。

というわけで、さっそく今週も行ってみましょうか。
前回の続き、一人目の原画家のその後、ですね。

 
<『仏蘭西少女開発回想録』 第3回>


丸谷シナリオのバイオレンスシーンで毎度体を張った
仕事をしてくれるスタントガール。
5人家族で小さな弟が2人いる。
お父さんが浮気性のアル中で、彼女が一家の稼ぎ頭。
右投げ、両打ち、スキル:ケガしにくさ△2、回復△3。
※このカットは本文とそれほど関係はありません

丸谷先生と荒縄さんが『仏蘭西少女』を進めている最中、僕は別の企画(確か『絶滅キング』だったような)をやってました。
(注1)

そんなわけで、詳細は知らないのですが、
前回述べた原画家が何枚かキャラデザやイベント絵を挙げて来ていて、
「ああ、順調にすすんでるんだな。いよいよ形になるのかー」
と思いながら横目で見ていたものでした。
(注2)

そんなある日、僕は荒縄さんから突然
「原画家が変わるかもしれない」という話を聞かされました。

「え、なんで?」
当然の反応です。
だってその日まで着々と絵が上がってたじゃないですか。

その時荒縄さんが言った言葉は今でも忘れません。

『キャラクターの女の子がこんなにも酷いことをされるゲームだとは思わなかった』

僕は呆然としました。
全く無警戒の、思いもよらなかった場所からガツン、とやられた気分でした。
たとえば、仕事が終わって家でのんびりネットでエロサイトでも覗いてる最中、
突然音もなく外国人窃盗団が現れて、後ろからバールのようなもので殴られたような感じです。
分かりますか? この感じ。
(注3)

ともかく詳しく聞いてみると、
最初の原画家さんはどうも前作『女郎蜘蛛』をやっていないらしく、
PILがどういうブランドなのか理解されていないらしく、
(もしくは原画家に企画の説明をした人が敢えて触れなかったのかもしれません)
バイオレンス描写に定評のある丸谷先生のシナリオが、
その原画家さんの繊細な心に耐えられなかったそうなのです。
(注4)

『女郎蜘蛛』や『仏蘭西少女』をプレイした方ならよくご存知かと思いますが、
丸谷先生がPILで書くシナリオでは、
女の子の髪の毛を掴んで引きずり回したり、女の子の腹を容赦なく蹴ったり、
荒縄で縛りあげ、冷水を浴びせ、痣が出来るまで殴り、蹴り、突き飛ばし、腕を折り、
また殴り、蹴り、毛をむしり、四肢の自由を奪った挙句に、陵辱の限りを尽くす――
ということはルートによってはごく当たり前のように起こります。

性的描写よりもこういうバイオレンス描写の方が好きなんじゃないか、
ああ、PILに入社したのは天啓だったんですね、とそういう感じなんです。
(注5)

そういうシナリオ・世界観に精神が耐えられない人が居る、というのは、
若く(当時21か22だったかな)あまりにPILというブランドに慣れすぎた僕にとっては、
新鮮な衝撃がありました。
(もちろん今では、そういう人もごく当たり前に居て、
 むしろ一般的にはそっちの方が多いんじゃないか、ということは知ってるけど)

「え、なに、そういう理由ってアリなの? なんで事前に説明しないの?」
というのが当時の僕の偽らざる感想でした。
(注6)

何がいけなかったのか、どこで間違えたのか、誰がどう悪いのか、
というのは詳しくは知らない僕が書くべきことではないでしょう。
仮に詳しく知っていても、簡単に結論付けられることは少ないですね。
それぞれにそれぞれの立場で言い分はあるものです。

さて原画家が描けないのであれば、このゲームは完成しない、ということでもあります。
この企画に残された選択肢は主に下記の4つ。

  1.この原画家でも描けるようなシナリオに修正する
  2.原画家を代えてこのままのシナリオで完成させる
  3.『風のリグレット』のような絵無しのゲームにする
  4.お蔵入り

3は商業的に論外、4は諦めるのはまだ早い、
というわけで、絵を取るか、シナリオ(=企画コンセプト)を取るか、の選択が、
当時の丸谷先生と荒縄さんにあったのではないかと想像します。
(注7)

そういう決定的な判断のある打ち合わせには、別企画担当の僕は参加していないので、
結果から推察するしかないのですが、どういった判断の経緯があったかは分からないものの、
丸谷先生と荒縄さんが選んだのは、「2.」の選択肢のようでした。
(注8)

そして、そうこうしている間に、それどころではない事態が水面下で進んでいたのでした……

<続く>

『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com

(注1)
三ツ矢氏が『絶滅キング』に関わった年数も、『仏蘭西少女』程ではないが
十分に長い期間だった。
(注2) 関係者によれば、この時点で早くもシナリオは難航し始めていたようである。
(注3) 当委員会の構成メンバーの中、9割の人間が判らなかった。
(注4) 消息筋によれば、彼は人並みはずれて繊細な人であったそうである。
(注5) シナリオライター本人によると「そういう話の展開になったので、その通り
に書いているだけ」だそうである。
(注6) 原画家氏に渡されていたプロットには、書いてあったようである。
実際シナリオに書かれた時、細部の描写に問題があったのであろうか。
(注7) 『仏蘭西少女航海記』によれば、3はかなり真剣に検討された形跡があると
いう。犬神利明氏は『仏蘭西少女』の地の文の異様な密度は、文章だけで完
成させる事を考えての結果であるとの説を唱えている。だが、この説には賛
同していない研究者が多く、定説となるには至っていない。
(注8) 3は検討されたものの、商品として売る事を考えると、実現性に乏しかった
ものと思われる。

脚注by 仏蘭西少女記録委員会

2010/04/09

● 『仏蘭西少女開発回想録』 第2回

みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

1週間て早いですねえ。
ラジオやってる時も、気が付けば構成台本の締め切りが近づいてきてたりして、
1週間とかそういうスパンで定期的な締め切りが来ないものだから、焦ります。

と言うわけで、今週もさっそく行ってみましょう。

<『仏蘭西少女開発回想録』 第2回>

先週はどこまで書いたっけな。
そうそう。言いだしっぺが荒縄猫太さんだったところか。
(注1)
具体的にいつから企画が動き始めたのか、
というのは、当時の僕が別ラインのゲームを作ってたこともあって、
正確には覚えてないんですね、実は。
(※まあもう10年以上前の話だから、当事者でも分かんない可能性もあるだろうけど)

コンセプトとしては
・「女郎蜘蛛」の続編(2ではない)的なイメージ
(注2)
・金髪の無垢なちっこい子がメイン
(注3)
・大正時代
こんなところだったと思います。

タイトルも『仏蘭西少女娼婦』だったかな、そういう仮タイトルで呼ばれていて、
(この仮タイトルは今でも一部のシナリオファイルのヘッダー情報に残っていたりします)
(注4)
この時は、
少女がどういう存在であるかも決まってなければ、政重くんも香純ちゃんも皐之介出てきてない、
という状況ですね。
(注5)
しばらくこうしたモチーフやイメージを踏まえて、
丸谷先生と荒縄さんが何度か意見を交えてプロット的なものが書ける状態まで持っていった……んだと思います。
(注6)
こういった話は、僕が開発室内をウロウロしている際に小耳に入ってきたレベルで、
はっきりと『仏蘭西少女』の開発が開始されたのを認識したのは、
2000年に入ってから、丸谷先生が『ドライブ・ミー・クレイジー』を書いた後か前のことだったと思います。

確か、キャラクターデザインが上がってたんですね。
当時はキャラクターデザイナーもTonyさんではない人で、
こんなでした。


(注7)
横目で見ながら「おー、儚げで可愛いじゃん」と思ってたものです。
このとき、(当時は)門外漢の僕はもちろん、丸谷先生も、荒縄さんも、
まさか完成するのが10年以上後になるとは露とも思っていなかったでしょう。

しかし、その後しばらくして、想像もしていない方向から暗雲が立ちこめて行ったです……

<続く>


『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com


(注1)
関係者の証言によれば『ドライブ・ミー・クレイジー』の作業が終盤に近づいて
放心状態だった丸谷の背後から近づき、不意にその耳元で「仏蘭西少女娼婦の話
なんてどう?」と囁いたのだという。
(注2) 犬神利明氏の研究によれば「市場で女郎蜘蛛が僅かながら好評であったので、続
編的な要素を宣伝すれば少しは売り上げに貢献するかもしれない」という純粋に
営業的な判断だったのではないか、と推測されている。
(注3) 『秘められた十年』(大正十三年刊 金卵出版)によれば、当時、荒縄氏の中で
は金髪碧眼がマイブームだったという。ただし、この本の記述は多くの点で信頼
性に欠けるという評価が定着しているため、本文には載せず、注に留める。
(注4) 『仏蘭西少女航海記』によると、他に『仏蘭西少女秘花』『仏蘭西少女抄』『仏
蘭西少女奇譚』『純白少女』『純白少女奇譚』など、様々な題名が候補にあがっ
ていたという。
(注5) 残された断簡やメモを研究した研究者の多くは、1番最初にイメージが固まった
のが少女、次がその対照としての香純、最後が二人しかヒロインがいないと話が
広がらないので二人を俯瞰する立場のヒロイン舞子。であったのだろうという点
一致を見ている。つまり、少女がどういう存在であるかは、仮題がついた時点で
ほぼ決定されていた可能性があるということである。
(注6) 少女は白、香純は黒、舞子は赤。というのが各ヒロインの色彩イメージだったらしい。
この色彩イメージでポスターを作るという構想が、丸谷のアイデアノート中に発見さ
れている。
(注7) 出典『仏蘭西少女航海記』p36
この原画家の人選は丸谷が強く推したものだったという。

脚注by 仏蘭西少女記録委員会

2010/04/02

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