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● 『仏蘭西少女開発回想録』 第8回

みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

もう5月も終わりですか。早いですね。
春には何かしら情報を出せそう……と言ってましたが、
そこは人間のやること、なかなか思惑通りにはいきませんね。
ごめんなさい!
頑張ります。

と、言うわけで、さっそく第8回行ってみましょうか。
今回は金山会長との話です。

<『仏蘭西少女開発回想録』 第8回>

『仏蘭西少女』の企画・プログラム担当の荒縄猫太さんが亡くなってから、
1年か2年後くらいだったかな、僕はそれまで勤めていた所を辞めて、
フリーという名の無職に近い感じになってました。


※このカットと本文は、それほど関係ありません。
無職になって1ヶ月も経たない頃に、
『仏蘭西少女』でも内部スタッフとして頑張ってもらった、ストーンヘッズの広岡へびさんから連絡がありました。

広岡さんとは僕がまだストーンヘッズに居た頃からの知り合いだったし、
フリーになったことを伝えてあったので、
(これは何か頼まれるな……)
という予感がナンバーディスプレイを見た時からありました。

案の定、用件は仕事の話で、
「『SweetHome』の文字校正をやって欲しい」
という内容でした。

打ち合わせの日時を決めて、僕は数年ぶりにストーンヘッズの事務所を訪れます。

久しぶりのストーンヘッズは、
僕が知っている頃に比べて結構スタッフが変わっていました。
ディレクターのT氏は既に退職していて、顔と名前が一致するのは広岡さんくらい。

その日は金山会長は不在で、少し世間話をして、校正に必要な資料だけもらって帰りました。

帰りの電車の中で、広岡さんとの世間話を反芻しながら、
(文字校正の仕事だけではないだろな、たぶん)
と思ったものです。

2〜3日校正の仕事を進めていると、今度は金山会長からメールがありました。
「今度会って話がしたい」

僕は指定された軽井沢の某所まで足を運び、金山会長と会談しました。
荒縄さんのお通夜以来でした。

軽井沢……と一口で言っても、
なにぶん初めての場所だったので、右も左も分かりません。

駅で捕まえたタクシーに乗って、何とかたどり着いたのは、森の中でした。
(注1)

鬱蒼とした木々に囲まれた和風の屋敷の門前で来訪を告げ、
その辺からドーベルマンでも出てきそうな庭を抜け、広めの座敷に案内されます。
(注2)

広い部屋の真ん中でぽつんと正座して待っていると、
かすかに何かの音色が聞こえてきました。

お茶を出してくれた人がそれに気づいて、
「最近はオカリナに凝ってるんです」
と気さくに話しかけてくれたんですが、少し気圧されていた僕は、
「はぁ、そうなんですか……」と生返事するのが精一杯で、
会長のオカリナの練習が終わるのを待ち続けました。

こんな異様なシチュエーションの中、
正式な仕事としての面談は、これが初めてでしたし、
かなり緊張していたように思います。

しばらくするとオカリナの音が止み、僕は少し背筋を正しました。
そしてゆっくりと金山会長が座敷にやって来ました。
作務衣姿でした。

すっかり雰囲気に飲まれてしまっていて、
もう何を喋ったのか完全に忘れてしまいましたが、
僕は立ち上がって適当に挨拶をして、対面に座り直します。

最初の面談というのは、お互いの人間性なり考えを探る意味もあって、
即仕事の話をしない場合があるんですが、この時もそうでした。

世間話や昔話をしながら、
いつ本題に入るんだろう、何を言われるんだろう……
と内心冷や冷やしていたものでした。

……というのも、これまで僕がストーンヘッズの仕事をするときは、
南泌流夫だったり、ディレクターT氏を介しての仕事だったので、
金山会長とは、お互いに間接的にしか知らない間柄だったのです。

そして悪いことに、南泌流夫がストーンヘッズに居た頃、
僕は20歳そこそこの生意気な若者で、
一度、忘年会の二次会だったかな、たまたま金山会長の隣の席に座ることがあって
少しだけ直接話す機会があったんですね。

その時、僕は若気の至りで相当ぶっきらぼうな態度を取っていて、
詳細は恥ずかしすぎて言いたくないんですが、何でしょうね、
愛想の悪いバンドのインタビューみたいな受け答え、と言えば雰囲気は伝わるでしょうか。

さらに直前の荒縄さんのお通夜ではサンダル履きを指摘されていた(第7回参照)し、
良い印象はほとんど無かったと思います。

そんな人間に対して、金山会長は
「T氏の後を引き継いだディレクターが辞めてしまって、
 『SweetHome』の開発を仕切る人が居ない。三ツ矢くんやってくれないか?」
と言うのです。

この時は無職だったし、それまでに得た情報から、
ある程度ありうる話だとイメージはしていたので、願ったりかなったりでしたが、
金山会長の目は笑っていません。

これは絶対に失敗出来ない……
僕はゆっくりと唾を飲み込みました。

金山会長に対する信頼を結果で回復しないといけないし、
若く、それほど会社に数字で貢献できていなかったのに、
南泌流夫に付いて行った引け目もありました。

そしてもちろん、荒縄さんの訃報に続き、T氏も現場からいなくなって、
ほぼ開発が止まりかけていた『仏蘭西少女』の仕事のチャンスがその先にあるのも……

僕は当然それを意識しており、折を見て切り出します。
「ところで、『仏蘭西少女』は――」

突然、金山会長の目がくわ、と開かれ、
僕は言葉を失いました。

金山会長は無言で僕を目を見ているだけでしたが、
それを口にするな、という強い意志は伝わります。
言いかけた言葉をごまかすことも、話題を変えることもできず、
僕は思わず目を逸らします。

「こっちを見なさい」
「はぃ……」

何とか返事はするものの、頭はぼんやりして何も考えられなくなっていました。



――帰りのタクシーの中で、僕は考えました。
ただ会って話すだけなのにクタクタでした。

もちろん、『仏蘭西少女』の開発は進んでいない。
僕のチャンスはゼロではないのも確か。

ただ、それもこれも目の前の仕事で信頼を得ないことには、絵に描いた餅。
頼まれもしないことを考えてる余裕は当時の僕にはありませんでした。
色気を持ちながらも「まずは1つ1つ」と自分に言い聞かせてたと思います。

そして会談後、『SweetHome』の仕事が文字校正からディレクションに変わって、
しばらく経ってのことでした。
また金山会長からメールが届きます。

「(三ツ矢くんに頼んだ仕事の)本命は『仏蘭西少女』だから」

体温が一気に上がりました。

<続く>

『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com

(注1) 消息筋の話によると「あの屋敷」と言えば通じるそうである。
(注2) 関係者によると、元海兵隊所属の男が軍事用に訓練したドーベルマンが五頭いる、との事である。

脚注by 仏蘭西少女記録委員会(STONEHEADS未公認団体)

2010/05/28

● 丸谷秀人のつぶやき千里・第28回

 一ヶ月というのは実に短い、人生と同じように。
 そのくせ、一ヶ月先というとなんだかひどく遠い未来な気がする。そ
れもまた真実。
 連続ドラマや週間連載のマンガなら4話分である。それだけあれば、
ドラマの中で人が5、6人死んでてもおかしくないし、MLBの順位が
大幅に変わってもおかしくない。まぁ生まれたての赤ん坊は一ヶ月じゃ
立って歩きはしないけど。
 だから『一ヶ月先が締め切り』とか言われると『あ、1ヶ月あれば楽
勝だよなぁ』と安易に応じてしまいがちだが、今まさにそんな約束をし
ようとしている人や既に手遅れになった人に声を大にして言いたい

 『一ヶ月をなめるんじゃない!』

 『一ヶ月先は一ヶ月先ではない』というのが、何度も何度も苦い経験
を重ね現在も順調に重ね続けている私が今まさに思いついた出来たてホ
ヤホヤの格言である。思いつきともいう、否定はしない。
 一ヶ月先はなぜ一ヶ月でないか、それは簡単である。締め切りが一ヶ
月先、と決まってすぐに仕事に取りかかる人は余りいないからである。
一ヶ月先の締め切りに合意したということは、本人の腹づもりでは、そ
の仕事が一ヶ月かからず出来るだろうという場合が多いのだ(勿論、本
当に追い詰められて普通なら三ヶ月は掛かりそうなのに、一ヶ月でやら
ねばならないという事はある。それは除外)。つまり、一ヶ月のうち一
週間程度は仕事してなくてもいい、と考えているという事だ。で、余裕
があるから大丈夫だよなぁ……とか考えているうちに、いつのまにか後
一週間になっていたりする。なんて恐ろしい!
 さて先程、余りいない、と書いた。ということはすぐに仕事に取りか
かる人もいる、ということになる。そういう人にとっては一ヶ月先はや
っぱり一ヶ月先ではないか、という人もいるだろう。ところがどっこい、
すぐ仕事に取りかかった人がそのまま仕事に邁進して一ヶ月を有効に使
うとは限らないのが哀しいところだ。
 例えば確率は低いが一週間ほどはモクモクと仕事が出来たとしよう、
その時、ちょっとした仕事上の壁にぶちあたったとする(一週間経たな
いうちにぶつかる確率の方が高いと思うが)あーだこーだ考えてもなか
なか進まない。さぁどうする? そこで悪魔が囁くのだ『なーに、まだ
まだ3週間はあるじゃないか! もうある程度は進んでいるわけだし、
最初から3週間あれば十分だと思ってたわけだし余裕余裕! ちょっと
気分転換しても問題ないさ!』そして彼は気分転換をしてしまうのだ。
しかも2週間か場合によっては3週間目の真ん中くらいまで気分転換ば
かりしてしまったりする。結局、一ヶ月は一週間に化けてしまうのだ。
 さっき連続ドラマや週間連載のマンガなら4話分と言ったが、実は一
クールのドラマが気づいたら終わっていたという経験は誰にでもあるだ
ろう。そう考えれば一三分の四にすぎない一ヶ月はひどく短いとも言え
る。マンガの単行本で考えると1冊の半分にもならず読むのに10分と
かからない。一ヶ月は長く見えて結構はかなかったりもするのだ。

 そんなわけで、今回の言葉は、
『一ヶ月というのは実に短い、人生と同じように』でした。

2010/05/21

● 『仏蘭西少女開発回想録』 第7回

みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

今回でこの連載も7回目を数えますが、
まだ僕がストーンヘッズに出戻ってないですね(笑

この回想録は長くなりそうだと思ってはいましたが、
どのくらいで終わるのかなあ……
これが10年の時の重みってやつでしょうか。

そんなわけで、さっそく第7回いってみましょうか。

<『仏蘭西少女開発回想録』 第7回>

南泌流夫から、『仏蘭西少女』の企画・プログラム担当の
荒縄猫太さんの訃報を聞いてから、
ほどなくしてお通夜の日取りの連絡が入りました。

夏の終わりの日でした。


※このカットと本文は、それほど関係ありません。
当時の気持ちを振り返ってみると、
『仏蘭西少女』の企画が始まってから、
ずっと二人三脚で仕事を進めてきた丸谷先生とは違い、僕は最初軽いショックを受けたものの、自分でも驚くほど喪失感はありませんでした。
(注1)

今はもう別の会社の人間だし、
『仏蘭西少女』も僕のものではないし、
ストーンヘッズで仕事をしていた時も、
下っ端の僕と統括管理的なことをしていた荒縄さんとでは距離がありすぎました。
それでも、思い出はゼロではないのですが、少々長くなりそうなので、
また別の機会があればお話しようかと思います。

僕は最後の荒縄さんと会話した日のことを思い出そうとしましたが、
なかなか出てきません。

たぶん、『SEXFRIEND』のデバックのお手伝いに行った日が
最後だったように思いますが、定かではないです。

僕はその日は普通に業務をこなして、会社に泊まりました(忙しかったんです)。

そしてお通夜の日。
時間ギリギリまで仕事をして、家に帰って、
慣れない喪服にネクタイを締めて地下鉄に乗っているとき、
ハタと気がつきました。

「俺、サンダルじゃん!」

仕事で疲れてたのか、やっぱりショックだったのか、単に抜けていただけなのかは分かりません。
ただ、途中で靴を買ってると遅刻するのは確実なことだけは分かりました。

開き直ってそのまま荒縄さんの実家に行きました。
懐かしい、ストーンヘッズの面々が家の前に集まっていました。

荒縄さんのこと、それぞれの近況のことをみんなボソボソと喋ります。
丸谷先生も居ました。
ずっと荒縄さんのことを呟いていました。
誰も僕のサンダルのことは突っ込みません。

全員が荒縄さんにお別れを告げた後、
取り合えずみんなでお茶でもしよう、ということで
何人かに声をかけて近くのファミレスに行くことになりました。
その中には金山会長も居ました。

ファミレスに入っても、さすがに皆ふさぎがちです。
普通に会話しようとしてみても、どこか上滑りしてしまう。

でも、いつまでも暗い顔してても仕方ないし、
亡くなった荒縄さんのことを話すにしても、もう少し普通に話したい。
みんな自然に笑ったり話したりできる空気になるきっかけを探していました。

そんな時でした。

「あれ、三ツ矢くん、サンダルなの!?」

金山会長が目立たないように隅っこに座っていた僕の足下を目ざとく見つけて笑います。
その笑いも、どこか作ったようなぎこちなさはあったものの、
そんなことを気にする人は誰も居ません。

つられてみんなも口々に軽口を叩き始めます。
僕は取ってつけたような言い訳をしてうつむきながら、
なんだかホッとした気分になったものです。

当然、このくらいのことで、いきなりみんなが普通に会話できるようになるわけでありません。
ただそれでも、最初に店に入った時よりは、話題がスムーズに出るようになりました。

金山会長とも、少しだけ直接言葉を交わしました。
内容は覚えていません。
たわいもないことだったと思います。
この時には、数年後一緒に『仏蘭西少女』を作ることになることを、
お互いに全く想像していなかったはずなので……

この日の話題は荒縄さんのことと『仏蘭西少女』のことが殆どでした。
詳しい内容は忘れましたし、書けないようなこともあったかもしれませんが、
この日、僕はその時点での『仏蘭西少女』の進行具合について、
かなり具体的に把握出来たと思います。
(注2)

と言っても、それでどうなるというわけではないんだけど。

企画立案者であり、
世界観のイメージを作った人であり、
メインシステムを作っていた人でり……

ゲームは開発する誰のものでも無いのかもしれませんが、
この段階では、『仏蘭西少女』は確実に丸谷先生と荒縄さんのものでした。

今でもこれは断言できます。
そのくらい重要な人だったんです。

翌日から僕は自分の仕事に戻りました。
荒縄さんとは全く関係の無い仕事に。
『仏蘭西少女』は多分もうお蔵入りだろうな、と思いながら。

しかし、ストーンヘッズは『仏蘭西少女』の開発を諦めていなかったのです。

<続く>

『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com

(注1) 丸谷と荒縄の関わりについては2009年7月24日掲載の『丸谷秀人のつぶやき千里・第18回 』が詳しい。
(注2) 犬神利明、峰月神楽両氏の仔細な研究によれば、
『仏蘭西少女』のシナリオは、これより一年以上前の時点でほぼ現在の形で完成していたようである。

脚注by 仏蘭西少女記録委員会(STONEHEADS未公認団体)

2010/05/14

● 『仏蘭西少女開発回想録』 第6回

みなさまこんにちは。
ストーンヘッズディレクターの三ツ矢新です。

最近暑いですねー。
誰だよGWは寒くなるとか言ってたの。

ゲームの開発って地味なんですよ。ええ。
色々報告したいとは思うんですが、面白いネタは今週はあんまりないです。
いや、あったかもしれないですが、面白そうなことほど言えないことが多かったりして、
なかなかもどかしいものです。

そんなわけで、さっそく第6回いってみましょうか。

<『仏蘭西少女開発回想録』 第6回>

原画家がTonyさんになりそうだ、
と当時のストーンヘッズディレクターだった友人のT氏から
聞かされた後、僕とT氏は断続的に会って、
時には仕事を手伝ったり手伝ってもらったりしていました。


※このカットは本文とそれほど関係はありません

何度か会って話をしてると、案外話題が尽きるもので、
「仏蘭西はどうなってるの?」
というのが毎回の決まり文句と言うか、
「最近仕事どう?」
的な挨拶代わりのように聞いていた記憶があります。

T氏の答えは毎回ほぼ同じで、
じりじりと進んではいるものの、それほど芳しいものではない、
というニュアンスばかりでした。
その頃には、僕も少しずつシナリオの量であったり、分岐の量であったり、
Tonyさんの作画スピードやスケジュールに関しての情報は得てましたので、
「このTさんを持ってしても進まないというのは、相当な難物だぞ……」
と他人事ながら気にかけていました。

気にかける、というのは、T氏の苦労を慮るのもあり、
どうしてそうなっちゃうのか? という純粋な疑問(好奇心?)もあり、
未征服の山がそこにあるなら登ってみたい的な感情もあり、複雑でした。

彼なら完成させられるはずだ、という友人としての思いと、
僕にチャンスの目が出てくるから、完成させてくれるな、
という利己的な願望が同時にありました。

友人の仕事の失敗を期待する、というのはもちろん自分でも良い気分はしません。
ただ丸谷秀人さんとTonyさんという素材は、この業界で仕事をする人間にとっては、
(全員がとは言いませんが)相当魅力的に思えるのも事実です。

といっても、当時は僕も他社の人間でしたので、
具体的に手助けも妨害も何もできませんし、しちゃいけない。
外から『仏蘭西少女』のなかなか進まない開発を眺めているだけです。
「作らないんだったら、その企画僕に売ってくれない?」
と冗談めかして酒の席で言うのが精々です。

もちろん軽く受け流されました。
それでいいと僕も思ってました。

この頃から『仏蘭西少女』の製作に対するある程度の具体的な意識が、
僕の中で芽生え始めていたと思います。

ただ意識が芽生えようが芽生えまいが、
僕はストーンヘッズの人間ではないし、
目の前の仕事の方が大事……というか必死です。

当時はライターから本格的にディレクターへの転身を図ってましたので、
早い話がそれどころじゃなかった。
『仏蘭西少女』への思いは現実のディレクター業の楽しさや辛さや忙しさの前に、
すぐにかき消されてしまいます。

そんな慌ただしい日々の中、僕の携帯が鳴りました。
夏の終わり頃でした。
南泌流夫からでした。
この頃にはもう数年連絡を取っていない相手です。
袂を別った気まずさもあります。
彼はプロデューサーなので何か面倒なことを頼まれるのかもしれない、
という身構えもあります。

何を言われるんだろう?
正直出たくない。
でもちょっと懐かしい。

少し考えて、やや緊張しながら携帯に出ました。
南泌流夫が言った言葉は、僕が予想した物のどれでもありませんでした。

「荒縄猫太さんが亡くなったんだって……」

彼が何を言っているのかよく分かりませんでした。

<続く>

『仏蘭西少女』の開発に関して聞いてみたいことがあれば、
下記のメールアドレスまでメールして下さい。

france_info@franceshojo.com

2010/05/14

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