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● 丸谷秀人のつぶやき千里・第82回

 晩年という言葉がある。
 新年最初のブログで取り上げる話題かよ。と言いたくなるのは、なにやら秋や夕暮
れの気配があるからだが、実のところそうでもない。
 25で亡くなった芸術家の晩年は30直前の時期であり、70で亡くなった音楽家
のは70直前であり、10で亡くなった女の子なら晩年は9歳くらいからの1年だ。
あくまで亡くなる直前の一時期なので秋も夕暮れもない。
 若くして亡くなった芸術家なら亡くなる直前を晩年と言われても納得してしまうが、
幼くして亡くなった女の子にその言葉をもちいるのは、どうも変だ。「あの子は晩年
よく笑ってました」……しっくりこない。
 辞書を引いてみると、晩年は
『一生の終わりに近い時期。年老いてからの時期。「幸福な―を過ごす」』
 だそうだ。秋や夕暮れというイメージは、後段の『年老いてからの時期』から来た
ものなのだろう。なるほど……と納得したいのだが、ますます納得がいかない。
 晩年という言葉は、最近できた言葉ではない。この言葉が生まれた頃、人の平均寿
命は今より短かったはずで、となると、20歳や30歳いやそれどころか10になら
ずで亡くなる方々も多かったろう、昔の乳幼児の死亡率を考えれば片手で数えられる
歳の子が多数派だったかもしれない。となれば、年老いてからの時期を迎えられる人
のほうが少数派だったのではないか、となれば、当時、晩年と呼ぶべき平均年齢は今
より低かったに違いない。
 ここでフト思った。もしや晩年という言葉を使う対象である人間は限られていたの
ではないのだろうか。なんらかの功績をあげた、と世間に認められた人に限って使わ
れたのではないか。つまりいわゆる偉人である。いくら気の毒でも、可能性を秘めた
まま、あるいは可能性なんかなかったがないことすら判明しないうちに亡くなった方
々には用いられない言葉だったのではないか。そんじょそこらの凡俗には使わない言
葉だったのではないか。そう思うとしっくりくる。
 功績をあげるには、まぁそれなりの年齢が必要である。となれば功績を上げた時に
は既に、それなりの年齢に達しており、10歳未満ということはまずありえない。功
績がある人間に限ってという解釈を補強する言葉もある。スポーツ関連の記事にはな
んと『現役晩年』という凄い言葉すらあるらしい。引退が近い年齢の選手のことを言
うらしい。まぁ記事にとりあげられるようなスポーツ選手なら、それなりの功績はあ
げているだろうから晩年の資格は十分だ。スポーツ選手という奴は引退時点でも、ま
だまだ普通の社会なら現役中堅の年齢だ。このことからも判るように、晩年はなにも
老人になっている必要は無く、功績さえあげていれば呼んでもらえるということだ。
 コレで解決かと思ったが、まだ問題が残っている。
 そもそもスポーツ選手は引退しても一生が終わるわけではない。引退した瞬間に消
滅するとか、いきなり苦しみだして亡くなってしまうというなら、石にかじりついて
も引退したくないという選手が続出するだろう。なんだかこう書くとスポーツ界は悪
の秘密組織みたいであるが、なぜ引退を嫌がるかと言えば、人はおおむね死に直面す
るとそこから逃れようとするからだ。まぁこれは屁理屈で『現役晩年』というのは、
あくまで『現役』という限定つきの晩年であり一生が終わるわけではない。『本番』
の晩年ではなく、そのスポーツ選手が亡くなった時、初めて『現役』がついていない
『晩年』にクラスチェンジするのだ。
 辞書の定義には功績うんぬんは書いていないが、学識豊かな辞書制作者とて見落と
しくらいはするだろう。三日三晩徹夜の編集作業で意識が朦朧としている時『晩年』
の定義を書いたのかもしれない。まぁそれくらい許してあげようではありませんか。
 となんだか物凄く上から目線でようやく解決……と思ったが、まだ問題は残ってい
る。そもそも功績というのはどの程度のことを言うのだろう? 人は何事もせずに一
生を送ることは出来ない。私のようなとるに足らない者ですら、エロゲーのシナリオ
を幾本かは書いてきた。まぁ間違っても晩年といえるほどの功績ではないが……メデ
ィアに取り上げられる程度に活躍していれば晩年の資格があるのだろうか。だが、メ
ディアならなんでもいいということはないだろう。私だってエロゲーのムック本にイ
ンタビューらしきものが載ったことがある。その程度ではダメである。なら、どれく
らいより上なら『晩年』と呼んでもらえるのだろうか。
 世界を救えば間違いなく呼んでもらえる、国を救ってももらえる、町を救ってもも
らえる、溺れた人を助けたら……なんか1回ではダメな気がする、一体何人の溺れた
子供を救えば『晩年』と呼んでもらえるんだろうか。いやその理屈だと海難救助の人
は絶対に『晩年』と呼んでもらえることになる。それにつらつら考えるに、いわゆる
善なることでなくてもいいのではないか、悪人と言われる人でも大悪人なら呼んでも
らえる。万引き程度ではいくら繰り返してもだめだが、かといって銀行強盗でもだめ
だ、アルカポネくらいなら確実だが……ううむ。映画化が条件か? テレビ、ラジオ、
新聞、書籍などでとりあげてもらえれば晩年なのか……と書いていて気づいた。
 晩年は自分の口から言う物では無く、他人に書いたり言ったりして貰うものなのだ。
 人はいつ自分の一生が終わるかを終わる直前にならなければ判らない。いや、終わ
る直前ですら判らないこともあるだろう。だから「俺の晩年はさ……」とか言えない
んである。誰かに言って貰わなければならない。「あの人の晩年は穏やかでした」と
か「あの人は晩年になっても好奇心旺盛で」とか。つまり他人に言ってもらえるよう
な人だけが晩年と呼ばれるにふさわしい。となれば、亡くなった時、ひとりでも他人
が「あの人の晩年は……」と言ってくれれば、晩年なんである。メディアでとりあげ
られる必要なんてないんである。人の晩年は他人の心の中にあるものなのだ。
 
 ってことは誰も私には晩年って言ってくれないってことだ!
 
 まぁ、言われたくないけどね、まだ。


2015/1/23



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