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● 丸谷秀人のつぶやき千里・第83回

 今でも時々思う。                             
 彼女がボクのところへ来ていたら、どうなっただろうか、と。         
                                      
 その当時、ボクには今よりお金と余裕があった。
 とは言っても、自家用飛行機をもったり、別荘を建てられるほどではなく、なにも
働かずにぶらぶらのらのらと暮らせるほどではなかったのは言うまでもない。あくま
で今と比較して、である。言うなれば高い自転車を一台買えば、たちまち苦しくなる
というくらいと理解していただけると話が早いかもしれない。だが高いと言っても、
100万とかではないし50万でもないし20万でもない。つまり、あくまで現在の
始終「お金があればなー。お金が欲しいなー。カネかね金」と呟いている状態よりは
まだマシという程度である。もちろん当時もそう呟いてはいたが、今よりは少しだけ
毛筋ひとすじほどの余裕があった。外から見れば多分、今も昔も始終金のことばかり
呟いているいやしい人間にしか見えないだろうが、本人視点で見ると、そこにはかな
りの違いがあったのだった。1分に1回呟くか、30秒に1回呟くか、この違いは大
きいのではないだろうか。誤解しないで欲しいのは、1分とか30秒とかは、なんの
根拠も無い適当な数字であり、当時が今の2倍収入があったとかではない。あくまで
わずかの違いを明示するためにあげた数字にすぎない。つまり外から見れば何も変わ
らないし、内側からなら変わると言っても、それは錯覚であったのかもしれない。昔
というのは何でもセピア色にノスタルジックに美しく見えるのである、あの3丁目の
夕日が本当は泥と粉塵と犯罪と公害に飾られていたごとくである。もしかしたら、今
よりもお金がなかった可能性すらある。となれば、この差は単なる精神的なものにす
ぎなかったのかもしれない。その差がなにによってもたらされていたのか、もしかし
たら今より若かったからなんの根拠も無い楽観主義に浸かっていられたのかもしれな
い。それは歳と共にすり減る一方なんである。今では慢性的な悲観主義に全てが覆わ
れている、と思っていればおおむね正しいが、それが怠惰の言い訳になっているよう
な気もするのだった。
 まぁその辺の真偽はともかく、精神的にもしかしたら思い出補正的に、今よりお金
と余裕があったような気がする時代であったということは覚えていても何の得もない。
 今、考えたのだが、その根拠もない楽観主義を取り戻す方法が判明すれば社会の役
に立つのではないだろうか。プライスレスな貧困対策になる。貧しくても満ち足りて
しまえば、福祉に金がかかってしょうがないという現状をなんとか出来る可能性もあ
る。生活保護申請に来た人はみな別室でその精神的に豊になる方法を脳内に注入して
やれば、2度と生活保護を求めにくることがない。餓死するまでニコニコと笑ってく
らせるのだ。それは将来のボクの姿である可能性が高い。だが、苦しんで逝くよりも、
ニコニコ笑っている方がいいのは言うまでもない。これは真剣に考えるべきであろう。
この方法が見つかった暁には、『しあわせコンサルタント』などというセンスレスな
看板を掲げ、あちこちの自治体に金がかからない福祉として伝授して回るのだ。顧問
料として多額の現金や利益供与を受けられること間違いナシである。そうすれば『精
神的にもしかしたら思い出補正的に、今よりお金と余裕があったような気がする時代
』というあやふやなものではなく『誰がどの角度から見ても、ボクって金持ちだよね
精神的にも現実的にも時代』になってしまうかもしれないではないか。
 さて、今よりお金と余裕があったかもしれないけど本当はなかったかもしれない単
なる錯覚だったかもしれないボクが、当時、少しだけはまっていたことがあったりし
た。ネットオークションである。はまると言っても、始終、インターネットに入り浸
り欲しいと思ったものがあれば、次々と競り落としていたというほどではなく、あく
までよく眺めていたという程度である。とすれば少しだけはまっていた、という表現
自体が大いなる間違いであり、はまっていたどころか、たまに覗いていた程度、と書
くべきだったかもしれない。だが、今より覗いていたのは間違いのないところで、そ
うすると、今もたまには覗いているのは事実であるので、比較からすると、たまに覗
いていた程度というのは、過少申告すぎるかもしれない。となると真実はどの辺にあ
るのだろうか。『始終』と『たまに』の間あたりに潜んでいる可能性が高い。『たま
に』より頻繁なのだから『よく』だろうか? よく覗いていたのか。ボクは覗き屋だ
ったのか。別に犯罪的な意味で覗いていたわけではないので覗いていてもいいのだが、
それでも『よく』と言うほどでない気がする。となれば『よく』と『たまに』の間と
いうことになる。あきらかに『よく』は普通よりは頻繁にという意味であるとすれば、
その中間は『普通に』ということか。つまり真実は、毎日1回は覗いていた、という
程度ではなかろうか? どうだろうその辺。その辺で手を打って置こう。
                                      
 厳密に語ろうとするのは面倒くさいものだ。だから厳密でなくてもいい。
 つまり、昔を語る黄金の出だしはただひとつ。
                                      
 むかしむかし。である。
 これでいい。


2015/3/27



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